とがわみさきの過去のヒストリー①小学生~バレー部時代

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おせっかいのいえ代表とがわです。


少し前に書いた年表このブログで過去の振り返りをしていると書いたのですが、

これを見事に終えまして、

私が今、おせっかいのいえでやっていることと
全部繋がっているんだなと気がつけたので、

今日から少しずつ過去の私を書いていこうと思います。





さて、私は母の実家の愛知県で誕生、埼玉県にて育ちます。
家族構成は父、母、7個上に姉、3個上に兄の三兄弟です。


上にも書いた通り母は愛知県出身なので、
実家が遠い中子育てをしていました。
そして小さいころから
『他人に迷惑をかけてはいけない』と言われながら育ちました。


子供のころはそれが当たり前だと思っていましたが、
大人になってからそれが覆ることになるとは全く思ってませんでした。
その話は、またにして…


子供の頃の私は、めちゃくちゃ社交的なタイプで、
全然知らない子とも『一緒に遊ぼう』と声をかけに行ける子でした。

学校ではリーダーシップを取るのは得意だったし、
身長も高いし、運動は得意な方だったので、
目立つタイプだったと思います。

でも結構気の弱い部分もあったり、
打たれ弱い所もあったので
女子のいざこざで、無視されたり
男の子たちにからかわれて、
学校行きたくないとかあったかなと思います。


しかし、小5の時に姉の影響で他校のジュニアバレーを始めて、
同じ学校にしかいなかった友達が他にも出来たことは大きかったかな。


そして、中学校は住んでいる校区ではない、
隣の中学校のバレー部がめちゃくちゃ強かったので、
そっちへ知り合いに住所を借りて越境してました。

毎日バレーバレーの毎日で、
夜は8時か9時まで練習、
土日は練習試合、大型連休は合宿。

始めての上下関係にどぎまぎしたなぁ。


それから、今ではありえないことだけど、
先生からはボールで殴られるのは日常茶飯事だったし、
今でも忘れられないのは、
近くの高校へ練習試合に行った時、
ミスして交代して先生の所へ行ったら
太ももをキックされてめちゃくちゃデカい痣が…
プールの授業の時めちゃくちゃ恥ずかしかった~

でも、県のジュニアオリンピックの候補選手だったし、
県大会でもそれなりの成績だったし、
高校はバレーで県1位2位レベルの所に、
特待生で入学しました。


高校は先生の暴力こそほとんどなかったけど、
先輩後輩関係がめちゃくちゃめんどくさかった。

そして、高1の冬に色々な事が重なって嫌になって、
部活を辞めた。


そして、最近気が付いたんやけど、
私バレーボールがそんな好きじゃなかった。
365日中360日位バレーボールしかしてなかったけど、
好きだからやってた事は一度もなくて、
毎日嫌で嫌でしょうがなかったなって。

でも仲間は大事だったし、
何より私がバレーボールする事が
親から認めてもらえる物がそれしかなくて
それが自分の価値だと思い込んでた。


だからね、
この親から認めてもらえるための物を辞めてしまった私は、
自分の価値を見失ってしまった。

そして気が付いたら、
『躁うつ病』というのになってしまっていた。






続く。。。。